1947-08-18 第1回国会 衆議院 隠退蔵物資等に関する特別委員会 第10号
先ほどの御證言に坂本署、警視廳へ私があめを三百カンやつたというようなお話がありましたが、それは當時武永氏がおいでになりましたときに、私に對して、きよう目白署がこういう調べに來たが以前にもこういつた調べに來た人があるかというお話がありましたので、私は警視廳、坂本署においてこういうお調べがあつたということを言つたのでありまして、私が坂本署に何百カンやつたとか、警視廳に何百カンやつたというような事實もなければ
先ほどの御證言に坂本署、警視廳へ私があめを三百カンやつたというようなお話がありましたが、それは當時武永氏がおいでになりましたときに、私に對して、きよう目白署がこういう調べに來たが以前にもこういつた調べに來た人があるかというお話がありましたので、私は警視廳、坂本署においてこういうお調べがあつたということを言つたのでありまして、私が坂本署に何百カンやつたとか、警視廳に何百カンやつたというような事實もなければ
○清水證人 そういうような疑念を抱かれることはごもつともでございまするが、當時武永氏も非常に生活上困つておられた。何とかしてやらなくちやならないということは關口さんも、おれも責任がある。
○清水證人 當時武永という人は目白署へ私が紹介をいたしたのでありますから、たまたま取調べておるときに調室が狹いために、ちようどタツチするわけではありませんが、そばにおつて聽いたようなこともありまするが、その後目白署の矢野部長はどうぞ取調べのときには表に出てもらいたい、こう言われてその後取調べの席には參りませんでした。そういうようなことはあつたのでございます。